【日の蔭りの中で】
京都大学教授・佐伯啓思 民主主義への誤解
このコラムの掲載は16日の朝、すなわち総選挙の投開票日である。今回の選挙は、とりわけ重要なものだと思うが、それはこの選挙を、これまでの流れに対してピリオドをうつものにすべきだと強く感じるからだ。「これまでの流れ」とは、それこそ橋下徹氏(大阪市長)のいう「ふわっとした民意」によって政治が浮遊し、また、政治がその「ふわっとした民意」を当てにすることでたえず政局へと流れてゆく、というこの数年間のわが国を覆う政治的風潮のことである。
しかも、そこに「政治改革」というきわめて便利で聞こえのよい文言がさしはさまれた。「改革論」はいう。わが国の政治がよくならないのは、官僚行政などのおかげで「民意」がちゃんと政治に反映されていないからだ、と。
確かに、行政機構にも既成政党にも問題はあったのであろう。それを改革すること自体は必要なことであろう。しかし、「政治改革」が世論の中心を占めるようになって数年、わが国の政治は、足場を失って右へ左へ、前へ後ろへと揺れ動く案山子(かかし)のように、風のふき具合でなんとも落ちつきのない不安定なものになってしまった。小泉純一郎氏が首相を辞めて以来、6年で6人の首相が交代するというのでは、まともな政治などできるわけはなかろう。
しかも、そこに「政治改革」というきわめて便利で聞こえのよい文言がさしはさまれた。「改革論」はいう。わが国の政治がよくならないのは、官僚行政などのおかげで「民意」がちゃんと政治に反映されていないからだ、と。
確かに、行政機構にも既成政党にも問題はあったのであろう。それを改革すること自体は必要なことであろう。しかし、「政治改革」が世論の中心を占めるようになって数年、わが国の政治は、足場を失って右へ左へ、前へ後ろへと揺れ動く案山子(かかし)のように、風のふき具合でなんとも落ちつきのない不安定なものになってしまった。小泉純一郎氏が首相を辞めて以来、6年で6人の首相が交代するというのでは、まともな政治などできるわけはなかろう。
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